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天之御中主神の謎に迫る

私は神社巡りを趣味にしている30代の会社員です。最近、古事記や日本書紀を読み始めたのですが、その中でも特に興味を引かれたのが天之御中主神という存在です。天地創造の際に最初に現れた神様とされていながら、その正体は多くの謎に包まれています。

この天之御中主神について調べていたところ、神社の杜で詳しい解説を見つけ、さらに興味が深まりました。今回は、私なりの視点で、この神様の魅力についてお伝えしていきたいと思います。

古事記によれば、天之御中主神は天地開闢の際、最初に現れた神様とされています。しかし面白いことに、日本書紀の正伝には登場せず、異伝で「天御中主尊」として記されているだけなんです。実は、古事記や日本書紀には、この神様が具体的に何をされたのかという記述がほとんどありません。そのため、かつては一般的な信仰の対象としてあまり祀られることがなかったようです。

この神様の性質について、様々な研究者が独自の見解を示しています。例えば、国文学者の守屋俊彦さんは、中国文化における天一神や天照大神をモデルにして作られた神様なのではないかと推測しています。ただ、これに反対する意見も根強くあるんです。

特に興味深いのは、中世の伊勢神道における解釈です。この時代、天之御中主神は豊受大神と同一視され、全ての神々の源とされました。さらに江戸時代になると、復古神道の中で最高位の究極神として位置づけられるようになります。

神話の中では、天之御中主神は高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)と共に、独神として描かれています。独神というのは、一柱で現れた神様のことで、他の神々とペアになって現れる神様とは異なる特別な存在とされています。

平安時代の『延喜式神名帳』を見ると、実は天之御中主神を祀る神社の記載がないんです。この神様への信仰が一般に広まったのは、それよりもずっと後の近世以降だったとされています。

特筆すべきは、妙見菩薩信仰との関係です。天之御中主神は「天の中央の神」として、北極星と同一視されるようになりました。明治時代の神仏分離により、多くの妙見社が天之御中主神を祭神とする神社に変わっていったんです。

鎌倉時代の伊勢神道の文献である「豊葦原神風和記」では、天之御中主神は豊受皇太神としても言及されています。この解釈については、様々な議論があります。中国の天帝思想の影響で作られたという説がある一方で、倫理的な要素が見られないことから、中国思想の影響は薄いのではないかという意見もあるんです。

信仰の観点から見ると、古くから天之御中主神を氏族の祖神として仰ぐ人々がいました。中世の伊勢神道では豊受大神の本体とされるなど、神話体系の中で重要な位置を占めていたことがわかります。

現在、天之御中主神を祀る神社は大きく三つの系統に分けられます。妙見社系、水天宮系、そして近代に創建された大教院・教派神道系です。特に妙見信仰と結びついた神社は全国に数多く存在し、例えば熊本県の八代神社や千葉県の千葉神社などが有名です。

水天宮は元々、天之御中主神とは関係がなかったのですが、幕末から明治維新の頃に主祭神として追加されました。また、出雲大社でも古くから別天津神の祭祀が行われており、現在も本殿に祀られています。

天之御中主神について調べれば調べるほど、日本の神様の奥深さを感じます。具体的な事績はほとんど記されていないにもかかわらず、この神様は日本の神道思想の中で重要な位置を占め続けてきました。それは、天地創造の始まりに現れた神様という象徴的な存在であり続けたからかもしれません。

これからも神社巡りを続けながら、日本の神様についての理解を深めていきたいと思います。特に、天之御中主神を祀る神社を訪れる際は、日本神話の原点に思いを馳せながら参拝したいと考えています。

天之御中主神の謎に迫る
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